「誰でもできる透視リーディング術」を読む
読み、3巡目です。
数ある「やってみよう」コーナーは相変わらず、一つもうまくいかず、
「誰でも」からソッコーはじかれております(笑)
そんなことより、この本はいいなー。
何かを思い出させてくれそうで、つい読んでしまいますな。まっ何も思い出しませんが。
今回の読みで、あっこれってあれのことか? てのがあった。
透視とは、肉眼の「見る」はなく脳裏に映るものを「視る」であるというところだ。
仕事のプログラミングで根の深そうなバグ、カオスにしか見えない挙動等の、今の自分のスキルでは絶対無理!なものに出くわして行き詰まった時、
僕は心の中で「何が起こっているのですか?」とか「これを解決するにはどうしたらいいのですか?」などとつぶやくのだが ( いつの頃からだろう? )、
こうすると適当なタイミングでふとイメージや直接スペルが一瞬微かに浮かぶことを知っている。
これに何度救われたことか。
この時のイメージをなんと言えば良いのか。決して見えてるのではない、かといって見えてないようなボンヤリしたものではない。
何だろうこの「見える」のではない「わかる」のようなイメージは?
ああ!これがこの本にかいてある、脳裏に映るイメージを「視る」ってやつか?!
ってゆーか、これが脳裏で「視る」ってやつなら確かに日常茶飯事だ。
この本にあるように誰でも気づかずに使っている類のものだ!
そういえば、僕は自分の中にふっと訪れる小さな小さな微かなタッチのようなものを、なるべく気がつくようにして、そして大切に受け取ろうと思うようになってきた。
それは、昔の自分だったら「くっだらねー」とか「よくある、たいしたことないもの」と言って捨ててたものだ。
確かに他の人にとっては「くだらない、たいしたことないもの」であっても、僕は大切にしよう、自分で「くだらない」と言わず大事に受け取ることにしよう。
そのためには1mmでも鼻高になっちゃならないことはとても良く解る。
だって微かなタッチが、全く気がつかなくなる状態だよね。
自分にとっての本当の謙虚とは、小さな小さな微かな微かな贈り物に静かに感覚を澄ましていることなのだなー。
と思い出した。
ああ、この本が好きなのはこういう「謙虚」であることの大切さを思い出させてくれるからなのだな。